海の岸辺に緑なす
樫 の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて ―プウシキン―
プーシキンというロシアの文学作家からの引用から始まる。
人の作品引用すること多いな。自分の考えの補足なのか根拠にしてるのか。
「私」は子ども頃、のろくさい女中のお慶のことをいじめていました。
マジでめちゃくちゃいじめてる描写あるので引きました。
ある日、絵本に載っている何百人もの兵の絵をハサミで切り抜くように指示します。
お慶は朝から夕暮れまでかけて作業をしますが、切り抜いた兵隊の腕がなかったり手汗で濡れてたりでめちゃくちゃです。
それを見た「私」は癇癪をおこしお慶の肩を蹴ります。
お慶はなぜか右頬をおさえ、「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と言います。
これには「私」もさすがに嫌な気がします。このブログを書いてる私はもっと前から嫌な気がしてます。
「 二度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに! 」でおなじみのアムロ・レイさんを思い出しました。
ガンダムは全く見たことないので知りません。元ネタお慶説浮上しましたね。
まあ子どものときはそんな金持ち最悪野郎でしたが一昨年に家を追われ没落します。
その日その日をなんとか過ごし、物書きで自活できると思った途端病気になります。
その後、人の助けを得て海の近くの小さな家で療養しながら仕事をするようになります。
ある日、戸籍を調べる目的でお巡りさんがやってきますが、なぜか「私」のことを知っている様子。
実はこのお巡りさんの妻がお慶さんでした。
お慶さんとの間には子どももいて幸福そうです。
家族で昔のお礼をしたいと言われますが「私」は激しく拒否します。
結局3日後にお慶夫婦と8歳の娘が訪ねてきます。
しかし、いたたまれなくなった「私」は嘘をつきその場を離れます。
30分後家に戻ろうとすると海岸でお慶一家を発見します。
お巡りさんとお慶さんが「私」の噂をしている声が聞こえてきます。
「なかなか」お巡りは、うんと力こめて石をほうって、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。
黄金風景っていうのはお慶一家の平和な家族の風景のことなんでしょう。
「負けた」っていうのはなんでかな。
お慶的には勝ったとか思ってないしな。
子どものときによくないことしてた自覚はありそうなので謝った方がいいような。
お慶さんが「私」のことを誇らしげに思っているのは救われるなーと思った。
「私」が没落した場面ではざまあみろと思ってしまった。
韓流ドラマの終盤ぐらいの逆転劇かな~わくわくって思ってたけど全然違うかった。
『BUNGO-日本文学シネマ-』という短編ドラマシリーズで映像化されてます。理がやってます。
BUNGO -日本文学シネマ-:太宰治×向井理/優香「黄金風景」
☆補足(冒頭のプーシキンの引用について)
某研◯館の先生のブログ読んだら
樫の木は海岸にあるのが当たり前で、その普通の木に黄金というとても羨ましいものが結ばれてる。
そのことから当たり前の風景からキラキラしたものを感じる。
つまり大したことのない人物(=お慶さん)が輝くというこの物語を端的に表した引用だということらしい。
ほんまかな。