われ、山にむかいて、目を挙 ぐ――詩篇、第百二十一。
安定の聖書からの引用で始まります。
あとに続く内容が「私の助けはどこからくるのであろうか」といった内容なので、多分この作品の主人公は何かしら悩んでて助けを求めているのかなーという予想。
あらすじ
主人公である「私」(=この家庭の父、太宰自身?)は「子供より親が大事、と思いたい。」という考えを一貫して持っています。
普通は家族の中で一番大事と考えると子供を挙げる人が多いかなと思いますが、彼の家庭においては子供よりも親の方が立場が弱いのでそのような考えになってるみたいです。
ある夏の夕食で妻の「涙の谷」という言葉を発端に夫婦喧嘩になってしまう。
私が一切家事を手伝っていないのに「人雇ったらいいじゃん!」って言ったことなどなどが理由で妻は涙の谷という言葉を使ったようです。
涙の谷は「悲しみの中にある現世のありさまを、谷にたとえた語。」です。
長男が(多分)ダウン症だったことも原因かなと思います。
仕事どころではなく、自殺のことばかり考えている私は馴染みの若い女のいる酒場に逃げます。
そこで桜桃登場!
私の家ではぜいたくなものは食べさせないので、子供たちは桜桃を見たことさえないかもしれない。持って帰って食べさせたら喜ぶだろう。しかし、私はまずそうに食べては吐き、食べては吐き、心の中で虚勢みたいに「子供よりも親が大事。」と呟くのであった。
感想
前に太宰の命日が桜桃忌って名前ついてる話書いたの思い出した。
この作品は晩年に書かれたもので、太宰の長男もダウン症だったようです。
長男が自殺の原因かも?と言われているらしい。
「Down syndrome(ダウン症候群)」という名称が正式につけられたのは1965年なので太宰が生きてる頃はなかなか理解が進んでなかったのかなと思います。
作中にも「ああ、ただ単に、発育がおくれているだけの事であってくれたら!」と書いてました。
自殺の理由は本人以外が考えても推測でしかないな。
主人公は太宰がイメージになってるのは絶対合ってるけど話がそのまま実話ってことではないと思う。
表面上は冗談を言ったりして明るく振る舞っていますが、内面はメンタル死にまくってる苦悩しまくってる一人の父の姿を見ることができるんじゃないでしょうか。
あまりにも家事手伝ってないしその自覚もあるのに、自分の苦悩ばっかり書いてるので共感できる話ではなかった。まあ立場違いすぎるからわかるわけないけど。
10分ぐらいで読めるので読んでみてね。
高級サクランボ食べたい!!!