五十音順で読んでてこの作品の1つ前に『右大臣実朝』があったんですが250ページぐらいあったから一旦飛ばしました。自分で作ったルール早めに破っておこう。
これは自分の考えを書いたエッセイになってます。いつものやつ。
最近失敗作ばっかりで 帝大新聞の編集者に同情されて「文学の敵」つまり最近の文学の批評的なもの書いてくれと言われる。
以降ジイドという小説家の芸術への考えが書かれています。
大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。(以下めちゃ省略)芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります。
太宰の隣の家では朝から夜中までラジオがかけっぱなしでうるさく、自分の小説の不出来はそのせいだと思っていた。
しかしそれは間違いでこの騒音の障害を踏み台としなければならないと考えるようになる。
色々と「文学の敵」を想定してみるがそれらは芸術を生み、成長させ、昇華させるありがたい母体だったと気づく。
不平を言うのもいいし敵に容赦する必要もないが、一番の敵はやっぱり自分の濁った心だな!ってなって終わりです。
芸術の話ムズいな。
ラジオの騒音とか面白い話のネタにもなるか微妙じゃないか。絶対苦情言った方がいいよ。
大芸術家の心構えを真似でもいいから持っておきたいと思ってるらしいので向上心すごーと思った。
鬱屈禍ってタイトルつけるほど鬱屈してると思わなかった。
バリバリ小説書くおじさんのイラストです。