太宰・ブログ・治

太宰治の作品を基本的に五十音順に読んで感想書いたり、そんなこととは全然関係ない感想書いたりします。

『一燈』

メインは8年前の皇太子殿下の御誕生日に長兄と街に出かける話。父親が亡くなったと書かれているので多分太宰自身の思い出話。

 

 

 

銀座はお祝いモードで大盛り上がり。みんなでバンザイしてる描写まであった。すごいな。

このように全国民の歓喜と感謝の声を聞くことはなかなか難しいだろうと書いてあった。

確かに街中みんなで喜びまくることないよね。今オリンピックで金メダルとかしか思い浮かばないけど、そんなん興味ないねんって人もいっぱいいるし。

 

 

前に『兄たち』で書いてあったように長兄は父親代わりの存在になってる。

街に出かける前は大学卒業見込みがない太宰が長兄に目玉飛び出るぐらい怒られてました。怒られてる話に1ページ使ってるから本当にめちゃくちゃキレられてたと思う。 

 

 

 

お出かけ話より冒頭の芸術家についての話が気になった。

 

芸術家というものは、つくづく困った種族である。鳥籠とりかご一つを、必死にかかえて、うろうろしている。その鳥籠を取りあげられたら、彼は舌をんで死ぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。
 誰だって、それは、考えている。何とかして、明るく生きたいと精一ぱいに努めている。昔から、芸術の一等品というものは、つねに世の人に希望を与え、こらえて生きて行く力を貸してくれるものに、きまっていた。私たちの、すべての努力は、その一等品を創る事にのみ向けられていたはずだ。至難の事業である。けれども、何とかして、そこに、到達したい。右往も左往も出来ない窮極の場所に坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。

 

鳥籠って才能とかのこと?芸術家はセンスなかったらトップになれないイメージあるので唯一の持ち物って考えたらまあまあ合ってるかも。合ってるってことにしよう。

一等品を作るためになんとも言えない立場で全力で努力し続けるしかない的な。

世の中の人に希望を与えたいとは思ってるんですね。結果今もファンがいる超有名作家やし治は喜んでるかな。

 

 

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